走れメロスのルートについて

【前提】
 出発後、野、森、隣町と通り抜け、全体の半分と予想されていた地点で川が登場、その後峠がでて、山賊と遭遇するコースを辿ること。
 ゴールは作中の描写からシラクサ
 作中の初夏という設定から、5月15日(シチリアの初夏は4月下旬〜6月上旬らしい)を想定。
 10里=10里前後(32〜48km)とする。
 日の出、日の入りは、緯度、経度、標高、日付から計算(してくれるサイトを利用)。
 メロスは、走り始める3〜1.5日前の時間帯で、山間部を含む80km前後を走っている(寝ずに)。しかも復路は花嫁衣装とご馳走を持って走っている(合計5kgくらいか?)。ちなみに、ご馳走は王との約束の前段階で購入している(つまり、まだ結婚の日取りを決めてない)ことから、乾物の類いだと考えられる。
  
 
【結果】
・出発地点:イスピカ
 標高65m。日の出は4:50、日の入りは19:03。
 ゴールであるシラクサgoogle マップのルート検索で50km以上あるが、やや山間部を通過するルートをとれば、ギリギリ48km(?)。直線なら40kmに収まるのだが……。
 薄明の頃に目覚め、悠々と支度していたので、出発は6:00とする。
 
・隣町:ロゾリーニ
 途中は確かに平坦。距離は2里弱で物語と概ね符号。
 ここまでは矢のように走ったが、途中から3里ほど歩く。
 
・川:マドンナ・マリーナ辺りの川(名称は分からなかったが、そこそこ大きい川がある)
 標高約85m。日の出4:49、日の入り19:02。ロゾリーニから3里強ほどの距離で、物語と概ね符号。
 ここで川が登場。恐らく、泳ぐ以外の方法を考え、時間を潰す。
 泳ぎ切った直後、『陽は既に西に傾きかけている。』という表現がある。
 南中直後(11:50頃)=西に傾くって表現にはならないと思うので、15:00頃かなと思う。
 イスピカからマドンナ・マリーナまで、最初の2里を1時間で走り(遅いな……)、3里を3時間で歩いたとすると、合計4時間。つまり、この男、5時間は川で粘った計算。まあ、軽々しく突っ込んで溺れて死にましただと、友人も死んじゃうのでしょうがない。
 川の近くで歩き回っていたことから、この時点で当初の10里というルートから外れた可能性がある。また、5時間粘って歩いていたら、どのみち距離はより長くなると思う。
 日が沈みきるのが19:30とすると、残り約4:30。距離は直線で25km程。
 
・峠:オリエンタタ・カヴァグランデ・デル・カッシビレ自然保護区のあたり
 標高が450m前後あるので、365m程の上り。ただし、峠を登り切るまで距離はそこそこあるで、傾斜はきつくない。
 とは言え、山っぽいので、想像以上の消耗が見込まれる。所謂トレイルラン状態である。
 しかもこの男、この後のシーンまで給水していない。10km超えた辺りからはマラソンなら給水したいところだ。カロリーも摂取している様子は見られない。素人ランナーで20km超えて走って、補給無しは、平坦な道でもつらいものがある。
 ここで山賊登場。押し問答は一瞬で終わるが、また体力を消費。疲労時にこんな過剰な動きをして脚を痛めないのが不思議。
 その後『一気に峠を駈け降りた』というところから、自然保護区内の川にある崖のような場所を下った可能性がある。水が湧いているあたりも場所の条件が符合するように思われる。
 軽くまどろんで疲労回復……ってことになってるけど、現実にこんな無茶してたら、目が覚めた後身体の痛みが酷いと思う。回復どころではない。じっさい、吐血してるし。
 まどろんでた時間は30分とします。
 この川から一気に直線ルートでゴールを目指すと、崖を登る必要があり500mの区間で280mの上りになるので、流石に多少迂回したと思われる。最終的な走行距離は、やはり想定(10里)より長かった可能性がある。
 
・ゴール:ギリシャ劇場(シラクサ
 標高は16m。日の入りは19:01。
 ゴールは当時からあり、見世物興業にも使われていたというシラクサギリシャ劇場を想定。
 到着は、日が沈みそうだが、沈みきる前ということで、19:00〜19:30を想定。
 
  
【考察】
 前半は歌いながら歩いていたので余裕。
 後半は4:30で25km前後というところだけ考えると、余裕の行程であった。
 が、果たして装備や前半からの疲労状況、水分、カロリーなど総合的にみるとどうだったのだろうか?
 メロスの装備は今のランナーからすれば十分ではない。ラストの辺りなんか裸だ。しかも、1.5日の休みがあるとは言え、山のある道のりでウルトラマラソン級の距離(しかも往路は結婚式のための荷物を持って)を走っている。普通に考えれば疲労は抜けない。走ってる最中の水分やカロリー補給に関しては、ほとんど無しである。
 つまり、速度では無く、体力や足腰の耐久力が異様に強い。少なくとも、鍛えてない人間には到底できるとは思えない。
「矢の如く」とか「韋駄天」とか「黒い風のように」とかの表現があるために走る速度が注目されやすく、また、時速6km程度では、傍目からは走ってるように見えないので、「もっと走れメロス!」と、言いたくなるわけだけど(そう考えると、タイトルに偽りなし)、この物語はやっぱり「友のため、精神的、肉体的極限状態で奮闘する」物語として見るのが筋でしょう。
 つまりは、「疲労と痛みで発狂した全裸男が時速6kmくらいで突き進む感動の物語」なのである(後半)。
 
 まあ、上記はあくまでこういうパターンもあるかも? という程度の考察です。
 当時の街道がどのように整備されていたかを全く考慮していない上、google マップで見つかった川と山の位置から簡単に判断しただけなので、現地に詳しい人なら全く別のルート思い付くかなと思います。
 また、道がどの程度の悪路であったのか? 当時の靴(?)で長時間走る(山間部あり)行為がいかに脚に負荷をかけるか? 水分、カロリー摂取がほとんど無い状態でどこまで耐えられるか? メロスの体重とそれによる影響はどの程度だったか? まで詳細には考慮していません。その辺は実践あるのみです。初心者ランナーごときが、40km走って最後に全力疾走できるなんて思ってはいけません。(衝撃吸収能力が高い靴で50km走ってみたことがあるが、30kmで脚が悲鳴を上げた。コンクリも脚にいいとは言えない。長距離走は、まずは減量からですね)。
 ちなみに、上記の最大の問題点は、明らかに道など無かったであろう山間部を直進するコースでは、山賊が待ち伏せできないだろうということ。大量に雇ってそこらじゅうに配置したとか?
 
 そしてなにより、10里=40km弱という計算をすることが大人げない。「10里=とても長い距離」と読むのが常識ある大人の態度でしょう。決して、私のように3時間も考え込んではいけません。